ある方に「ボランティアを売りにする奴は大嫌いだ」と言われました。
私が嫌いなら嫌いとはっきり言えば良いだけの話しで、私のやって来た活動に対しての
中傷ならもの凄く失礼な話し。
嫌いで結構!私は自分でボランティアを売りにしてきた事は一度もありませんし、
(チャリティーコンサートを続けているという発言は事実ですので、しています
ただし、売りにはしていません)たとえボランティアをした事が過去(確かに何度も気持ちで歌って来た事はあります)
何度かあったとしても、非常に個人的な部分の話しで「あんたに関係ないやろ!」と
思わず口論になりました。私は他の・・・たとえば顔が不細工だとか、身体が太いとか
、歌が下手だとか・・・そんなレベルでの批判ならある程度は引きますが、
ことドリームトイへの私の活動に関しての部分へのご批判だけは、受けて立ちます。
絶対引きませんよ。
10年以上に渡って白血病患者さんやご家族の方への支援は続けてきています。
それは白血病というものがどういうものか、心底知っているからです。
身体だけじゃなくて、心の中まで破壊される事がわかるからです。
こういう無神経な発言をする人に何が・・・わかりますか?
じゃあボランティアって何でしょうか?
自分のした事に対しての金銭的な評価が無い事を「ボランティア」と呼ぶと勘違いして
いませんか?
じゃあ日々の生活の中にボランティア的要素が一杯ある事、ご存知でしょうか?
カースト制度の厳しいインドに行けば、レストランに入ってメニューを持って来る人、お茶を運ぶ人、
お客を案内する人・・・それぞれ違う。お茶を運ぶ人がテーブルにこぼしたら、それをふき取る別の
人が現れたりする。日本じゃあ考えられないでしょう?自分が運んだお茶がこぼれたら
それは自分で拭きませんか?誰かが困っていたらそっと手を差し伸べる事を幼少期から教えられて育っていませんか?
それに対しての金銭的評価が無かったら、価値が無い事と思って過ごして来ましたか?
「ボランティアをしていると言う奴が嫌い」なら私は「気持ちでやっている部分に対していちいちめくじらたてて
がなりたてるあなたの方がよっぽど嫌いだ」と言い返して帰りました。
こんなつまらない事を言う大人がいるから、成熟した社会性が生まれないんです。
私は「あと一押し」の部分まで気遣って生きる事、それがボランティアの定義だと思っています。
「やらせて頂けた」その気持ちが無い限り、ボランティアな精神性は確立しない。
そこに金銭的なやり取りが成立する、しないは、介在する必要性が無いと思っています。
ちょっと難しい話しですみません。
いつも言いますが、病院ロビーコンサートはもちろん無料コンサートです。
「あげます元気」と言って行かせて頂きますが、実は元気を頂いて帰るコンサートになります。
これはいつやってもどこでやってもそうでした。結局は自分の気持ちを満足させるものと
なるのです。「与えてあげる」などという生意気な心構えでは、到底打ちのめされて帰る羽目になるのです。
病院ロビーコンサートに一度でも参加した事のあるメンバーは、全員感動して帰ります。
それは、音楽的評価うんぬんは関係なくて、本当に笑顔を忘れていた方と「何か」を共有できた
喜びを感じるからなんです。
本当に持たなければならない「豊かな感情」をどう育てていくべきか、今も模索中です
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